メモランダム

結局いつも、目的を遂げることには興味がなくて、そこにいきつく過程に魅力を感じる。
行きたい場所、欲しい物、やりたいこと、これから先のこと。
ああだったら、こうだったらと考えて、とうていそこに到達していない今を嘆いている間が一番幸せだったりする。手に入ってしまうと途端に気持ちが離れる現象はいったい何だろう。
そんなだから、本当に欲しいのか?本当にやりたいのか?と自分に深く問いかけると、そうでもないという答えが浮かんでくる。
最近になって、自分の好きなことって何だろう、本当に好きだったものって何、ずっと好きで興味を持ち続けているものは何かと考えてみたことがある。ちょこちょこ寄り道をして、齧っては飽きてきた人生の中で、ずっと好きなことは、家や部屋、インテリアのことを考えることだと思う。
今から何ができるわけじゃないけど、これが好きと自分で知っていることは悪いことじゃないよ、と自分に言い聞かせてる。

一年に一度使うカテゴリー、頼誕!このカテゴリーで書く日が今年もやってまいりました。そして今年で最後の頼誕です。何故ならはてなダイアリーか終わるから!次のブログ、全く決めてないけど、はてなダイアリーみたいな仕様はまず望めまい。まあ、そんなことより誕生日だよ、頼久おめでとう。これからも年を取らずに、いつもちょっと納得いかない顔で剣の稽古に励みたまえよ。そしたらきっと、「頼久さーん」とあなたの神子が迎えにくることでしょう。ではまた来年な!

日日是好日を観てきた。先日亡くなった樹木希林さんが出演されていることで話題となったせいか、扱われている題材のせいか、劇場はお年寄りの比率が高かったように思う。内容は、作者が25年間続けている茶道を通して、生きることの素晴らしさや愛おしさ、辛いことや苦しみ。その全てが生きる意味、生の歓喜であることを体感してゆくという、森下典子のエッセイが原作となったもので、個人的には無駄に長いかな?という印象が残ってしまい、いまいち面白かったとは思えなかったです。
ですが、これまで縁のなかった茶道という世界に少し興味が湧いてきました。お茶そのものへの興味というよりは、毎日毎日常に焦るような気持ちで生活をしている中で、いっときでも心を平らにする時間を持つことが必要なのでは?というような気持ちです。静けさの中に生きる時間を持てれば。茶道でなくてもいいんでしょうね。映画では、そこに美味しいお菓子とお茶がセットされていたので、ほいほい食いついているだけですね、きっと。

秋ですね。10月ですね。となると、これは頼久のお誕生日しかないですね!

頼久の誕生日に、夜遅くまでデートがしたい、お酒を飲みたい、二人きりで旅行に行きたい、ケーキバイキングの帰りにサーティーワン寄りたいなど、などなど言い出すあかねに、危ない、良くない、とんでもない、神子どののお身体がっ!など、などなどの理由でやめさせようとする頼久がいるわけだけど、あかねは「いいじゃないお誕生日なんだから!」と言って強行しようとする、みたいな誕生日を、過ごしているといいなぁ。まあ頼久は(お誕生日って……確かわたしのでは?)とか気づいてしまう時がいずれ来るわけだけど、言わないの。
これからもずっと、ずっと言わないでおこうと思っている頼久だといいなぁ!って思ってる。
たまにはずっと大人になった二人を妄想できたらなぁ、って思うけど、やっぱりまだ大人になりきれない二人が好きだなぁ。
いろいろ思いながら今年ももうすぐ9日を迎えようとしております。

悲しい予感

とうとう隣人の柔軟剤の匂いに苦しむ日がきてしまった。
これまでもニュース等で見聞きするたび、わが身に降りかかったらどうしよう、他人事ではない!と思っていたけど、この度とうとう当事者になってしまった。窓を開けなければ、または風向きによっては気にならないレベルなのは幸いですが、これからの季節はまあ良いとしても今後ベランダの窓を開けずに過ごすというのは、あまり現実的ではないよね。そして、こうしたことは別に「悪いこと」ではないし、そもそも私にとって嫌な匂いというだけで、世間一般的には好まれている匂いかもしれないし(というか、継続して販売されている時点で需要はある)なかなか難しい問題です。
私にできることと言えば、自らが引越しをするか、あとはもうひたすら「隣の人の好みが変わりますように」と願うしかないです。以前やはりマンションの住人のことで困っていた時も、「106号室の子が良い子になりますように、悪いお友達を縁が切れますように」とひたすら願っていました。これまで初詣やら、観光地の神社仏閣なんかで「お祈りすることがない」と悩んでいた私にも手を合わせる理由ができ、その後現在は106号室の家族が転居という形で私の願いはかなったわけですが、ここにきて新たに願いごとができてしまいました。そして隣人は今年の夏前に越してきたばかりなので、長い祈りになりそうなそんな悲しい予感でいっぱいです。
どうかお隣の家が衣類乾燥機を購入しますように。もしくは夫婦ともに多忙となり、選択は夜間に行うことになりますように。土日は選択などせずどうぞゆっくりお過ごしください。

はてなダイアリーが終了することになった。お知らせをまだよく読んでいないけど、どうもこれまでの記事は残り、新たな記事は書かなくなるということらしい。これを機に私も重い腰をあげようと思う。たいして書くこともない生活なんだけど、何かひとつくらいブログ的な場所が欲しいなと思う。今は何がいいんだろうな?もうブログ自体使う人も減ってるとは思うから、特別にはないかもしれなきなぁ。ぼちぼち探してみて、でも結局ははてなブログに落ち着いてる気がするよ。私ってそういうタイプ。

さて、このところの台風に地震、本当にお気の毒としか言いようがないです。被害に合った方が決して災害を甘くみていたわけではないと思います。これは、運というものなのでしょうか?こういう時、本当に不思議でなりません、助かる者と、そうでない者たちは、いったい何が違うのでしょう?よく、最後まで諦めない人が生き残ると言うけれど、それが本当なら私は早々に道を外れてしまいそうです。とか思いながら、避難袋の中身を点検し、食料の入れ替えに精を出していたりするのでした。

醤油が無くなるってどういうことだろう。醤油切らしちゃったから買わなきゃ!という意味での無くなるではなくて。
会社の人に、昨日うちの醤油が無くなっちゃった、と言われた時は、まさか1リットル程度の醤油の瓶が忽然と消えたという意味だとは思わなかった。よくよく聞けば、彼女の家では醤油差しに入れ替えず、かといって卓上タイプを買うこともなく、大きなサイズを買いそれを料理にも、食卓でも使っているとのこと。少し前に醤油をリビングに持っていった、それをどこに片したか分からなくなったという話だったから驚いた。どんだけ散らかってんだよ。
彼女について思うことは沢山ある。なぜ出勤してすぐに歌舞伎揚を食べるのか。何故髪を結わかずに来て、デスクで髪を整えるのか。なぜ恥ずかしげもなくげっぷをするのか。良いところもたくさんあり、仕事も任せられるものもある。けれど、いつもいつも悪いところばかり目がいき、きっとそれは他の人が同じことをしてもそこまで気にならないと思うと、結局のところわたしはこの人を嫌いなんだなと思ってしまう。
私はここ数年一緒に働いているこの人のことで、何度も何度も日記に書いたり、人に話しは、ねえどう思う?と聞きたくなっていたことがある。でもどうしても書けなかった。その時の言葉がわたしにとってあまりにも衝撃だったから、書こうとすると胸が苦しくなるし、話そうとしても上手く言葉が出ず、何より私の自分の体からその言葉を発することがとても嫌だ。なんて書くとどんなにか激しい言葉かと想像させてしまうけど、実際はよくある言葉。ただ私がその時の声のトーン、言葉自体の重みがわかってない様子、その言葉に傷ついたであろう子供が一気に蘇るから重い気持ちになるだけなんだ。と、ここまで書いたらだよね笑 上手く伝わるかわからないでど、要は彼女が冗談で娘さんに「お前にいいところなんてあるの?」って言ったという話。そしたら落ち込んじゃったんですよーって、軽ーく普通に話してきたことがあったんだよね。わたしそれが衝撃で、そんな酷い言葉ってある?って思っちゃった。それからずっと、忘れられないの。ふとした瞬間や、彼女が子供の話した時とかに浮かんできちゃう。ね、書いてみれば、読んでみれば、たったこれだけのこと。こういうの冗談ていうの?普通のことなの?思うほど子供は気にしてないのかも。でも重たいよ、悲しくなっちゃう。
他にも、私にとっては、え!?ってことを話してくるんだけど、主に子育てに関わる話なので、私としては何も言えないでいます。
とりあえず醤油の話は、私としても返せる話題だったので、ガス台の下じゃない?と返しておきました笑