昨夜、mixiでスコーンのコミュを読んでて、みんないろいろ工夫して作ってるんだと知り、私も俄然やる気になって*1、今日は昼から*2「作るぞー!おらー!」とスーパーマーケットに買い物に行ってきました。普段そんなに料理って好きじゃないけど、子供の頃に比べると粉を使っても周りを汚さなくなってたり、片付けとか手際よくできるようになってたりして、手が大きくなったことも理由のひとつなんだろうけど、ちょっとジンときちゃった。
今日のスコーン作り、ちょこちょこ携帯で写真撮ってたのでUPしました→こちら(見てね★サイトのトップにも書いといてしつこいですか?)

*1:なんだか何もしないまま夏休みが終わりそうだし

*2:朝からじゃないってとこにいまいちやる気を感じないってのは言いっこなしよ。

夜、兄から電話があり「近くにいるんだ」と言うので、「スコーン作ったんだけど少し食べる?でも、間違えて有塩バター使っちゃったから無理かも(兄は腎臓が悪いので)」と言ったら、食べたい食べたいと予想外に喜ばれてしまい、10個も20個もあるわけじゃないからどうしよー!って「あんたが期待するほどたくさんは無いよ。天板一枚分しか焼いてないしさ」と言ったら「少しならあるの?1個くらいある?もらっていい?」だって。しかもすごい私に気を使ったような声出しちゃってさ、それじゃあまるで私が鬼妹みたいじゃない。私、そんなにケチじゃないよ・・・袋に1個、2個、3個つめたところで「やっぱスコーンのこと言うんじゃなかったかも」とは思ったけど。

今日って終戦記念日でしたよね。
私は70年代生まれなので、家族の中にも戦争を経験した人間が何人もいたんだけど、うちの場合ちょっと面白いというか興味深い経験者でした。訳あって、私には祖母が3人いるんだけど、一人は開戦前に満州に渡り商売で成功し軍との関係も深かったので開戦の情報を仕入れるやいなや日本に引き上げてきた人間。もう一人は東京山の手暮らしで、夫を早く亡くし、三人息子のうち長男も戦争で亡くす。その後、戦中のみならず戦後もずっとその長男の遺族年金で残りの息子たちを育てたという人。もう一人は、私が一緒に暮らし、いわば育ててもらった人なんだけど、この祖母は東京下町の柳橋という花柳界の芸者をしていて、ちょっと一般の人とは違う暮らしをしていたみたい。お座敷の客は軍の幹部ばっかりで、終戦直前の市民が食べ物に困っている時でも、お座敷ではご馳走を食べていたって。多分、いろんなものが並んでたんだと思うけど、祖母は肉が好きなので、この話のときはいつも「すき焼き」とか「ビフテキ」とかそんなことをよく言ってたんだ。祖母たちが生きている頃、たまにこういう話を聞くことはあったけど、自分からはあまり話そうとはしなくて、その娘(つまり母とか)達や、親戚から、「お風呂の中で死んだ息子の名前呼びながら毎晩泣いてた」とか「満州を出る時に生まれたばかりだった子を、現地の人は置いていけと言ったけど、姉がどうしても連れて行くって言ってくれたから今、私がいる」とか「着物もたくさん持ってたらしいけど、焼け出された時に三味線だけ持って逃げたんだって」とか。
祖母と暮らした時間は長くないけど、一緒に暮らせてよかったと思う。つくづく。

いつ出るの?

5月頃の記事で、夏に「クォン・サンウの全て」って本が出版されるって知って、しかも限定生産で値段も3000円くらいするって聞いてたんだけど・・・いつ出るんだろ。最近発売されたKOREA MOVIEという雑誌の副題が『All About Kwon Sang-Woo!クォン・サンウのすべて!』ってなってたから、え!これのことだったの?でも、この雑誌前から出てるしー・・・値段も(それなりに高いけど)違うし、これだったらいらないやー!って思ってたんだけど、だけど、だけど・・・買ってしまいました。だって、「同い年の家庭教師」っていう大好きな映画が特集されてたんだもん。この映画の原作ってネット小説なんだって(あり?有名な話?)それ読んだとき「はー、こりゃ萌えるはずだわさ」と思ったにょ。