今日って終戦記念日でしたよね。
私は70年代生まれなので、家族の中にも戦争を経験した人間が何人もいたんだけど、うちの場合ちょっと面白いというか興味深い経験者でした。訳あって、私には祖母が3人いるんだけど、一人は開戦前に満州に渡り商売で成功し軍との関係も深かったので開戦の情報を仕入れるやいなや日本に引き上げてきた人間。もう一人は東京山の手暮らしで、夫を早く亡くし、三人息子のうち長男も戦争で亡くす。その後、戦中のみならず戦後もずっとその長男の遺族年金で残りの息子たちを育てたという人。もう一人は、私が一緒に暮らし、いわば育ててもらった人なんだけど、この祖母は東京下町の柳橋という花柳界の芸者をしていて、ちょっと一般の人とは違う暮らしをしていたみたい。お座敷の客は軍の幹部ばっかりで、終戦直前の市民が食べ物に困っている時でも、お座敷ではご馳走を食べていたって。多分、いろんなものが並んでたんだと思うけど、祖母は肉が好きなので、この話のときはいつも「すき焼き」とか「ビフテキ」とかそんなことをよく言ってたんだ。祖母たちが生きている頃、たまにこういう話を聞くことはあったけど、自分からはあまり話そうとはしなくて、その娘(つまり母とか)達や、親戚から、「お風呂の中で死んだ息子の名前呼びながら毎晩泣いてた」とか「満州を出る時に生まれたばかりだった子を、現地の人は置いていけと言ったけど、姉がどうしても連れて行くって言ってくれたから今、私がいる」とか「着物もたくさん持ってたらしいけど、焼け出された時に三味線だけ持って逃げたんだって」とか。
祖母と暮らした時間は長くないけど、一緒に暮らせてよかったと思う。つくづく。